それは2017年3月30日
犬式の本格再始動が6月3-4日に行われる『頂-ITADAKI-2017』のアーティスト発表によって世にリリースされた。
三宅商店のスタッフとしても本格再始動の準備の過程を横目で見ていただけについにこの日が来たかという感じ。フェスがあるなら当然三宅商店による物販とノベルティが絡んでくるのは想像にかたくないと思います。そちらのリリースもお待ち下さい。色々考えてます。焦りながらも(笑)
実に8年ぶりとなった犬式の本格再始動。犬式のオフィシャルページも稼働している。トップに表示されているメッセージを引用します。
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レゲエのリズムと精神性をベースにしたジャムロック、とでも形容したら良いだろうか。2000年代の犬式のライブはひたすら熱く、長かった。時代が、どこかまだ緩慢とした雰囲気の中をたゆたっていた頃に、怒り、吠え、覚醒を呼びかけていた。地方の小箱で、フェスで、数々の伝説は作られる。その音楽性は常に変化を続けていたし、新しくも古くもあった。とりわけ後期は、プログレッシブロックやジャズロック的な要素も感じられたが、根本的にはトライバルな肉体性を伴うサウンドだ。考えたり、感じさせたりの果てに最後は、踊る。
パンクの初期衝動はファンクな成熟を見せ、原発事故が起きて時代のケツに火がつき、政治「的」だった三宅は政治そのものに飛び込んだ。
そして2017年、犬式 (INUSHIKI)がまた動き始めた。
彼らがこれからどんな音を鳴らし始めるのか、全く予想がつかない。時代は大きく動き、求められるメッセージも変化しているかもしれない。ただ、彼らがこれまでよりもさらにどん欲に、あらゆるリミットを取り外した世界観を構築してくれることは間違いない。その音楽性を語る時に「のような」とか「的な」と言った形容が通用しない、まさに「犬式な」世界がそこにあるはずだ。
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2015年の残波JAMで犬式は再結成ライブをした時には以下のようなコメントを残しています。
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犬式とはなんだったのか?
やたらとグルーブがうねる、とてもバンドらしいバンドだった。
10代にブルース、パンクそしてレゲエへの傾倒から始まり、後期はソウル、ジャム、サイケデリックな様相が深まってきていたが、根底にあるのは何かしら「民族」的な血のたぎりだった。「動物」的な、と言い換えたほうがいいかもしれない。それが、ロックだという人もいる。
クラブ界隈とライブハウス界隈を行ったり来たりしていた類の連中。東京・武蔵野は吉祥寺から生まれた犬式 a.k.a.Dogggystyleと名乗ったバンドの持つ雑食性というのは、あるいはこの時代の多くのバンドが持つひとつの特性と言えるかもしれない。DJカルチャーに育てられたワイドな音楽体験と感性、がその根っこにあるように思う。
2009年4月24日、武蔵野市吉祥寺(東京)でのライブを最後に、10代末からの10年間を共有した犬式のメンバーたちはそれぞれの活動に散っていった。
ツラツラと簡単に書き上げてみると...
Vo,Guitar三宅はソロ活動を始め、ほどなくして(仮)ALBATRUSを開始、そして選挙に出た。Guitar三根はLoopJunktionのラッパーだった山仁とACOUSTIC AND THE SOULGANG、Dr柿沼は光風&GREENMASSIVE、またBass石黒、Percussionイズポンを交えた4名は稀代のフリースタイルラッパー鎮座DOPENESSのバンド DOPING BANDの屋台骨でもあり、B石黒とDr柿沼のリズムセクションは東京の老舗DUB BAND トライアルプロダクションの一員でもある。Sax元晴はSOIL&"PIMP"SESSIONSを軸にポップス、ジャズ、クラブフィールドを幅広く活動し、また(仮)ALBATRUSのメンバーとして三宅と活動を共に。PイズポンはKINGDOM★AFROCKSのリーダーとして、日本屈指のアフロビートバンドを展開。もう1名、後期の犬式のステージにひんぱんに現れたセネガル人パーカッショニストLatyrSeeは、G三根、B石黒と共にTchiky'sを形成。そして、サウンドエンジニアの犬島は、その後PA、スタジオ稼業を閉まって、大阪でカレー屋に転身している。
2011年3月の震災と原発事故を折り目とした日本という国の変化がやってくる、兆し。どこかで何かに気づいたまま、それが何かよくわからずに探し求めていたのがそれ以前の10年という時代。そういうところで、犬式は狂騒的に鳴り響いていた。
レゲエともロックとも説明のつかない雑食的な、しかしやたらとグルーブのうねる、感情をあおられるライブで全国でカルト的な人気を誇り、そのスタンスは「宗教(シャーマニック)」とも「政治(ポリティカル)」とも言われた。バンドの活動停止から4年後に、三宅がパラダイムシフトを訴えて選挙に出たことで、妙な具現性を保有したそれらはどこへ向かうのだろうか。少なくとも、時おり虚空に吠えているように見えたあの頃よりも、今は三宅も聴衆もやることがハッキリと見えているのではないか。そういう時代だ。そして変化しているのは、国だけでなく地球や宇宙そのものだ。めぐりめぐってそれは自分だ。
震災と選挙を挟んで、6年半という時間が経過した。およそ2300日ぶりに、犬式が時代の流れに戻ってくるということになった。
よく考えると僕らはまだ何もしていない。何もできていない。ここから、いよいよ文明のベクトルが変わるような大仕事に携わっていくのだ。
そういう時代の空気を彩るように、犬式のビートが鳴り始めるのなら、そして多くの人たちが喜んでくれるのなら、踊り始めるのなら。
風雲急を告げる時流にも関わらず、 わくわく、しているのは否めない。
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2015年の「よく考えると僕らはまだ何もしていない。何もできていない」
というメンバーの吐露。今回の本格再始動が必然的であったのをほのめかしている。
「彼らがこれまでよりもさらにどん欲に、あらゆるリミットを取り外した世界観を構築してくれることは間違いない」
歴史の教科書のごとく目まぐるしく変わる時代の中で、信用に値するものと言えば、まさに「形容」の通用しない剥き出しのメッセージや、それすらも超えたアクションそのものではないだろうか。
2つのメッセージの内容が持つ方向性に大きな違いは感じないが、2015年の方が細かく具体的な表現のように感じた。あえて言えば頭で考えた表現。残波JAMの2015年と2017年の本格再始動の間に急遽立候補した2016年夏の参議院選挙とその後の余波の影響もあってか、三宅の音楽に対する情熱と、まだ「何もできていない」という想いが一層強くなっているのを感じる。
あくまで個人的な見解と断っておくが、その一層強い想いによって、今回のメッセージには頭でっかちになることは止め、全身全霊で音楽に向き合っていく気概のようなものをより強く感じる。まさに心で考えた表現と言っていい。だって心が動けば体は動き出すんだから。まさにメッセージの通り「考えたり、感じさせたりの果てに最後は、踊る。」しかない。
まさに「動物宣言」
三宅商店スタッフ一同も今後の犬式の活動と活躍に期待すると同時に、彼らの動きとマッチアップしてまずは目の前の『頂-ITADAKI-2017』を全力で盛り上げていきます。
彼らがより自由に走り出せるように。
さて、忙しくなりますよ。
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