野生の体を取り戻す1 ~素食のルーツ、一汁一菜のすすめ~

進化のルールに照らせば、
現代人のライフスタイルは、人間としての健康や幸福につながらない。


文明が進み、スマホやパソコンのOSがどんなにアップデートされようとも、
あなたの体は20万年前から変わらない〈人類1.0〉のままだ。


私たちは、野性的に暮らすように進化によって設計されている。

『GO WILD 野生の体を取り戻せ!』
(ジョンJ.レイティ&リチャード・マニング)
より



最近は、新型ウイルスの影響などもあってか、心身の健康を見直す機運が高まっているように感じます。


春は、季節的に見ても心身調整の大事な時期ですね。


学校や会社が「年度」を切り替えてその体制を変えていくように、体にとっても新陳代謝や免疫向上のための「土台そのもの」を見つめ直す季節とされています。


そんな季節に合わせて、三宅商店Magazineでは、3回連続シリーズ「野生の体を取り戻す」をお届けしていきたいと思います。


第1回目のテーマは「素食のルーツ、一汁一菜のススメ」です。


この日本列島において、人びとの食事が大きく変わったのは、明治時代以降ではないかと思います。


江戸時代が終わりに近づくにつれ、ヨーロッパ諸国から多くの外国人がこの列島を訪れるようになりました。


文明化、機械化、工業化が進むヨーロッパの文化に慣れ親しんでいた彼らは、小さな船を漕ぐ者や、馬や牛を引く者、1日何百キロという距離を走り続ける者たちの姿に驚きを隠せなかったようです。


その頃の肉体労働者の食事は、穀類と汁ものと、ちょっとしたおかずが主流でした。


今で言う「素食」です。


そして、明治時代以降に入ってきた食事の中身は、諸外国からの経済人、企業人たちの趣味に合わせたものが多く、それらの食品の輸入や製造ビジネスが広まっていく風潮の中で、それまで主流だった日本食のイメージは「粗末なもの」「貧しいもの」というものに変わってしまいました。


しかし、この数十年の間に、いわゆる現代病といわれるような症状・疾患の原因の多くが、「食べ物」や「食べ方」にあるということがわかってきています。


そして、病気を防ぐだけでなく、気力や精神力、体力そのものの土台を立て直し「本来の生き物としてのポテンシャル」を取り戻すためにも、食を見直すことの大切さがうたわれています。


玄米や雑穀、昔ながらの味噌、漬物。


栄養を摂るだけでなく、肚で栄養を作り出せる、本来の体づくり。


体に眠っている本来の力を呼び起こす食事につながるお話です。


◎一汁一菜のルーツ:味噌汁文化は鎌倉時代から

 鎌倉時代に初めて禅僧らが「粒味噌」をすり鉢ですって「漉し味噌(こしみそ)」を作るようになり、よく水に溶ける漉し味噌を味噌汁として食べ始めた。
 それまで、お膳に並べられ、おかずのように食べられていた味噌が汁ものとして食事に組み込まれ、ここに日本人の食の基本となる『一汁一菜』の食事形式が生まれた。
 武田信玄は軍の移動する道に沿って味噌の醸造を奨励した。
 ちなみに、戦国時代の武士の食べ方は「武家にてはかならず飯碗に汁かけ候」(宋五大草紙)とあるように、味噌汁かけご飯が主体だったようである。
-『味噌』(編集・発行:柴田書店)より



野菜を育て、野草を摘み、醤油や味噌を仕込み、調理して頂くまでを業とする、禅宗を始めとする仏教的養生文化は、庶民の生活の中にまで普及していました。


アメリカのカリフォルニアなどで、マクロビオティック、玄米正食、ヴィーガン料理が広まっていった流れを支えた一つの文化は、禅センターのレストランから広まったものでした。


鎌倉時代、それまでおかずのひとつだった味噌が味噌汁に進化して、一般家庭の食卓に普及していった流れも、禅僧の食事が促進しました。


ご飯と、味噌汁と、漬物がベースの一汁一菜は、食物繊維を含んだ穀類や、味噌汁の中の具材の持つ豊富な栄養が、まさに「量より質」という形でしっかり補給されていました。


ちなみに禅の食卓で、器に最後に残った汁を、ぬぐって拭き取ることにも使われるたくあんは、臨済宗の僧侶「沢庵」が好んで付けていた漬物です。


そして戦国時代、多くの武士は普段は農夫や飛脚として働いていました。


彼らの日々の食もやはり、穀類、味噌汁、漬物がベース。


それらを一つのお椀で食べるセンスは、今でいう、長距離走者のトレイルフード、登山食に近いものを感じます。


こんな話もあります。

1876年に、明治政府の要請で東京医学校教授としてドイツから招かれた医師、エルヴィン・フォン・ベルツ。
彼が日本を訪ねた当時、東京など市内の乗りものは人力車がほとんどでした。
ベルツは、車夫の強靭な体力に感嘆していましたが、医学的関心からその体力がどれくらいか測りたくなったようです。
そこで行ったのが、車夫と馬の日光までの競走です。
東京から日光までは約150キロの道のりです。
ベルツは、馬を6回乗り換え、14時間かけて日光に着きました。
いっぽうの車夫は、人間ひとりを乗せて走り通し、ベルツより遅れること30分で日光に到着しました。
ベルツは大変驚きました。
いったい車夫は何を食べ、これほどのパワーを発揮したのか、と。
そこで、道中の車夫の食事内容を聞き出します。
車夫の弁当の中身は「玄米の握り飯、味噌大根の千切り、たくあん」だけでした。
この内容を聞き、ベルツは驚愕したといいます。
これは一見貧しく、質素な食事に見えますが、理にかなった食事でもあるのです。
まず、食物繊維が多いこと。
また、酵素も酵母も多く、エネルギー代謝を助けるビタミンB群もあります。
ミネラルも豊富で、車夫の腸内は発酵という現象が起こっていたと思います。
足りないのは、ビタミンB12くらいです。
ベルツはドイツに帰国後、このことを報告し、ドイツ国民に広く穀類、野菜類の摂取を提唱しています。
 ー『「酵素」の謎 ーなぜ病気を防ぎ、寿命を延ばすのか』鶴見隆史(祥伝社)


コウジカビや唾液の酵素がデンプンを糖に変えて、その糖を酵母や乳酸菌が食べてエネルギーに変えます。


腸内細菌のエサでもある食物繊維やミネラルが供給されて、腸内環境が整うことで、腐敗ではなく発酵が起こり続ける状態になります。


その様は自家発電装置のようですね。


肚(ハラ)は、体の土といわれています。


いい土を作るように、いい肚を作る。


おなかの中でコンポストをするように、肚を育てる。


すると肚がすわる。


肚がきまる。


健やかな体は、土と共に、微生物と共に。


(今回の企画担当:冨田)



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(編集:冨田、須賀、大矢)

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