文・冨田貴史
絵・Karri Tree Design
構成・三宅洋平
(三宅商店では毎年春分に、1晩中火をくべて海から塩を炊く「塩炊き」を開催しています。ワークショップのリーダーは、我らが冨田くん。
「なぜ、精製塩(食卓塩)は身体に相応しくなく、天然塩を摂る必要があるのか?」
「なぜ、塩の自給は自然なライフスタイルを取り戻すシンボルたり得るのか?」
そこをみんなに解りやすく説明して欲しい、という店主のリクエストに答えてもらいました。塩の炊き方の説明に至るまでの、3回シリーズです。)
重要なのはミネラル
前回まで紹介してきた「鉄火味噌」や「味噌」そのほか醤油や梅干し、漬物といった日本食の要となるような食品を作るうえで欠かせない原料は塩です。今回はこの「塩」について少し掘り下げてみようと思います。
地球上の生命は46 億年前に海から誕生しました。当時の生き物たちは細胞膜を通して直接海水からミネラルを摂取していました。しかし、生き物が進化して陸に上がるようになると、このミネラルを直接とれなくなってしまいます。私たち人間は、海水中のミネラル分を結晶化させた塩を摂取することで、血液に溶け出したミネラルを血管を通して細胞へ運んでいます。
人間の血液や羊水の塩分濃度は、古代海水と同じ約1%(0.9%)のミネラルバランスになっており、身体の中に古代海水と同様のミネラルの濃度とバランスが浸透圧を維持して健康な細胞と体液を維持しています。
塩は「サラリー」の語源
このように人間にとってなくてはならない存在である塩ですが、大きく分けると人工的に作られた「精製塩」と海水を天日干しするか釜で焚いて作られた「自然塩」があります。自然塩をさらに分けると、海塩と岩塩、湖塩とに分けることが出来ます。私達日本人にとって最もポピュラーなのは海塩ですが、世界的に見ると自然塩全体の消費量のうち75%は湖塩と岩塩で、残りの25%が海塩です。
世界の全人口の分布を見ると、日本列島のように海に囲まれた地域に暮らす人たちは少数で、多くの人たちは海から離れた内陸部に暮らしています。そうなると、わざわざ海から汲んできた海水を釜で炊いたり天日にさらすよりも、地下深くに眠っていた古代の海水(大陸が隆起、または海岸線が沈降した時に干上がった海水)から水分が抜けて結晶化した「塩の元」を掘削したほうが効率がいいということで内陸部では主に岩塩、湖塩が普及してきました。
岩塩には「粉砕岩塩」と「天日岩塩」と「釜焚岩塩」があります。岩塩の地層を採掘して粉砕しただけのものが粉砕岩塩、この岩塩を一度溶かして不純物をよけてから天日干ししたものが天日岩塩、釜で焚いたものが釜焚岩塩になります。
どちらにしても地層を採掘するという行為は誰にでも出来るわけではなく、岩塩、湖塩が主流のヨーロッパ大陸では、大型重機や資本力を持つ資本家や企業が塩を独占的に製造し、多くの人たちは彼らの元で働く対価として塩を分配してもらっていたそうです。 ちなみに「サラリーマン」という言葉の語源は「salaried man」で、古代ローマ時代に傭兵に支払っていた塩を「salarium」と呼んでいた事に由来します。生活に必要な塩を自分で作ることが出来ない人たちが、労働の対価として受け取っていたわけです。そして、生活必需品(当時は塩、今はお金など)を労働の対価として受け取っている人のことをサラリーマンと呼ぶようになりました。
塩の道
一方で、海岸線が長く離島も多い日本列島においては、海水を汲んで自分で炊いたり天日干しして塩を自給していた人が多数存在し、雇用関係における給与というよりは交換の媒介物として流通していました。その道は今も「塩の道」と呼ばれ、海から山間部に塩が運ばれてきた痕跡が残っています。また、塩原や塩尻といった地名が内陸部にも存在するように、塩の道の交差点、交流や公益の場が日本中に広がっていた事が想像できます。
次回は、日本人にとって最もポピュラーな海塩について、そして日本列島における塩の文化について触れていきたいと思います。
■冨田貴史 http://takafumitomita.blogspot.jp/
京都在住。ソニーミュージック~専門学校講師を経て、全国各地で年間300本以上のイベント・ワークショップを続けている。ワークショップのテーマは暦、エネルギー、手仕事(茜染め、麻褌、鉄火味噌など)自家発電など。大阪中津にて養生のための衣食を自給する冨貴工房を営む。また、疎開保養「海旅キャンプ」主催団体「21st century ship 海旅団」代表代行。『原発事故子ども・被災者支援法』を活かす市民ネット代表。
0コメント