こんにちは。
ここ数回、主に「季節の養生」といったテーマで何度か記事を書いている冨貴工房&冨貴書房の冨田貴史です。
僕は、生活を支える食や衣服を手作りする事と、それらを手作り出来る場そのものを手作りする輪を広げることを軸に活動をしています。
そして、三宅商店がオープンして以来、商店のスタッフや近隣住民の皆さんと、塩炊きやみそ作り、茜染めなどを行ったり、茜染めの麻褌を納品させてもらったりさせてもらっています。
僕は、高度経済成長時期以降に使われるようになった「ベットタウン」という言葉に象徴されるように、住む場所と働く場所が分離しがちになり「地域の中の人と人のつながり」が急速に失われつつある現代、地域を越えて、生産、加工、流通、広報、といった活動と活動を繋ぐ「意識のコミュニティ」を作っていく必要があると感じています。
そんなこんなで、僕は岡山の三宅商店(以前は沖縄)にも足を運び、お互いの活動と活動をつなぎ合わせる試行錯誤を続けています。
そして改めて、今日から数回に分けて「三宅商店での買い物を勧めるわけ」的な記事を書いていこうと思います。
■コミュニティの中にマーケットがある、という希望
移動手段と通信手段が発達し、今は「住んでいる場所」と「働いている場所」が遠く離れるということが可能な時代。
そうなることで「コミュニティ」の意味合いも変わってきているといえるでしょう。
地理的な制限を越えた「意識のコミュニティ」の存在を実感する人も少なくないのではないでしょうか。
同じような価値観、世界観、センス、倫理観を持った人達による「見えない」または「形のない」コミュニティ。
それらはいくつものレイヤーを持って、有象無象の「つながり」と「場のようなもの」として確かに存在しているようです。
僕はそのような時代の流れの中で、この見えないコミュニティ(意識のコミュニティと呼びます)の中にローカルメディアやコミュニティマーケット、コミュニティ共同作業所のようなものを作っていくことを促進させたい気持ちになっています。
畑や田んぼや作業所や工場や託児所や産院のように、マーケットがコミュニティの中にあることの有り難さを思います。
そして僕は、彼ら彼女らの持つ世界観と価値観を通じて「三宅商店」の存在を感謝と敬意を持って、応援・支持したいと思っています。
インターネットやメール、電話などといった通信手段を使って、物理的に離れた場所に暮らしている者同士が、繋がり合いながら共生していく事が出来る現代には、今まで以上に、同じ意志や意図、価値観を持つもの同士が、モノや情報を流通し合って支え合う事が可能になってきています。
伝統的な農法や在来種、固定種の作物を育てる農家の暮らしを守り、遺伝子組み換え作物を受け入れないで生きていきたいという意図を持つ人達によるコミュニティ。
合成洗剤や化学薬品を生活用水の中に流す事なく、環境に負荷をかけない暮らしをしていきたいという意図を持つ人達によるコミュニティ。
原発のような巨大産業ではなく、小さな、地域に根ざしたビジネスを支えたいと願う人達のコミュニティ。
それは、地理的な意味合いを越えた「意識のコミュニティ」といえるでしょう。
そして、コミュニティの中で生産、加工、流通、メディアといった場を自分たちの手で運営し、支え合い、共生しあっていく試行錯誤を続けていくことが、具体的な意味での社会変革なのだと思います。
■グローバルなマーケットが広がり続ける歴史
ここで少し視野を広げてみます。
いずれ記事の中でもじっくり触れていきたいテーマの一つは「グローバリズム」と「ローカリズム」です。
そのことと大きく関係する「大店法」をご存知でしょうか。
流通が国際化していくといことは「オーナーがその場にいないマーケット」が世界に広がっていくということです。
世界で最初のグローバル企業と言われる「東インド会社」によって、インドの経済は、イギリス在住の経営者の意向にのっとって、イギリスに存在する工場やマーケットを潤わせる事に貢献することになりました。
インドの綿農家はイギリス国籍の企業に格安で綿花を納品し、それらの企業の製品をインドの消費者も買い続けるという状況が生まれました。
日本国内でも、インドと同じような状況は起こり続けています。
それによって、国産の繊維製品は、三宅商店のような小さなマーケットでしか出会えないようになってしまっています。
■そしてコミュニティに大型ショッピングモールがやってきた
流通の国際化とともに、主としてアメリカから「大店法は海外資本による大規模小売店舗の出店を妨げる非関税障壁の一種である」という圧力が増したのは1990年台初頭のこと。
それ以降、速やかに法改正が起こり、巨大なショッピングモールが日本全国に乱立しました。
そこには巨大な駐車場があり、グローバル企業による書店、スポーツ用品店、家電店、食品店などが集まっています。
そして地域の人々の多くは、地元の商店街や路面店、地域のオーナーが経営するような小さなお店ではなく、これらのショッピングモールでまとめて買い物を済ませるようになりました。
そのほうが時間短縮にもなるし、同じものを買うにしても安かったりもするし、品揃えも豊富だったりするからです。
しかし、もう少し大きな視点で見てみると、このような場所に集まった売上の多くは、地域の外に出ていってしまいます。
そして、商店街や路面店の多くが、法改正以降の20年ほどの間に、急速に、かつ静かに、それぞれの店を畳んでいってしまっています。
巨大なショッピングモールは、確かに品揃えは豊富に見えるかもしれませんが、地元の作家が作った少数ずつしか作れないような手作り品の姿を見ることは、ほとんどありません。
コミュニティの住民主導のマーケットがなくなるということは、コミュニティの中で作った野菜や穀物、加工品や本やCDを販売する場所がなくなっていくということに直結していきます。
そのような状況が進んでいくことで、地域の中から畑がなくなり、共同作業所がなくなり、祭がなくなり、地域ごとの文化が失われていくことにもつながっていきます。
「コミュニティの中の創造性が、コミュニティの中のマーケットによって守られる」ということがあるということです。
これは、どれが正しいマーケットか、という話ではありません。
それぞれのマーケットにはそれぞれの存在意義があるのでしょう。
そして今、それぞれのマーケットの個性を踏まえた上で、自分はどんなマーケットの存在に時間やエネルギーを向けたいか、という事を見つめ直す時代にあると感じます。
■ビノーバ・バーベの勧める、マーケットの自治
ここで、ビノーバ・バーベという活動家の言葉を紹介します。
彼の事は、三宅洋平マガジン『感覚と科学』26号/27号でも触れられています。
ビノーバ・バーべは、インドでガンジーと共に非暴力不服従運動を実態のあるものにしていった実践的活動家です。
彼はインド全土を歩いて回って、大地主から土地の一部を譲ってもらい、貧困にあえぐ人達と共に土地を耕し、自給と自立による生き方を実践を通じて広め続けた人。
■ビノーバ・バーベ(Vinoba Bhave) 1895‐1982。
インドの思想家。社会運動家。インド・マハーラーシュトラ州コラバ地 区ガゴダ村(現ライガット地区ガゴダバドラック) 生まれ。マハトマ・ガンディーの第一後継者と して、非暴力・不服従運動(サティヤーグラハ) を指導。サルヴォダヤ(万人の飛躍)思想に基 づく社会運動を展開するなか、大土地所有者 が自主的に貧困層への土地の贈与を行う土地 寄進運動(ブーダーン運動)を推し進めた。
彼の言葉をサティシュ・クマール氏がまとめ、日本において編集された『怖れるなかれ 愛と共感の大地へ』という本があります。
(以下は、僕が発行している『冨貴電報2017大寒号』の中の著書紹介ページ)
この本の中にこんな言葉があります。
それぞれのコミュニティが生活全般の運営を自分達で行い、住民同士の仲たがいを解決し、子供をどう教育するか決め、平和と安全を確保し、物資の流通のための市場を運営する。
どのコミュニティでも、ごく普通の人々が公共の仕事を経験しながら、 さらに自信を深めるでしょう。
そうなれば、人々の自尊心が回復します。
住民同士の仲たがいを解決することと、子供をどう教育するかということと、平和と安全を確保することと、物資の流通のための市場を運営することは、同列に扱われるくらいに大切なことだということです。
そして、それらを自分たちの手で行っていくことが、「自信を深め」「自尊心が回復する」ことに繋がると言っています。
売ること、買うこと、品物の価値を伝えること、商店の存在価値を伝えること、それらすべて「運営する」ということにつながります。
「自分の身の回りに、どんなマーケットが存在することを望むか」ということに対して、一人一人に出来ることがあるし、実際のところ、私達の消費行動のひとつひとつが、意識的であれ、無意識的であれ、「自分の身の回りに、どんなマーケットが存在しているのか」に一石を投じ続けているということです。
大型ショッピングモール、地域に根ざした商店街、個人商店、協同組合、その先にどんなマーケットを作っていくのか。
その道筋を決める一歩一歩が、私達がどんな市場に足を運ぶかにかかっています。
その事について皆さんと考えていけるよう、今後もこのテーマで記事を書いていきたいと思います。
text by 冨田貴史
追記:以下の動画は、これから触れていく「コミュニティの未来」について考える上での、意識の根底に触れる大事な語りです。改めて、ここで紹介します。
0コメント