冬は精を蓄える季節です。
冬は、いわば充電の時。
「寝る子は育つ」と言いますし、夜によく寝ると翌日動きやすくなったりもします。
夜は、季節で言えば冬です。
冬に蓄えて、夏に動くリズム。
そして来年春には統一地方選挙、夏には参議院選挙も控えています。
この冬、暖かく過ごしながらじっくり読書するのはいかがでしょう。
知恵や情報やインスピレーションを蓄える時間としても、冬と読書は相性がいいように思います。
いっときディスプレイから目を離して、ページをめくり活字に触れる時間。
短い文章をいくつも読む時間から切り替えて、じっくり一つの文章を読む時間。
今回紹介するおすす本は
『怖れるなかれ(フィア・ノット) — 愛と共感の大地へ (ゆっくり小文庫)』
著者:ビノーバ・バーベ、サティシュ・クマール
です。
『怖れるなかれ(フィア・ノット) — 愛と共感の大地へ (ゆっくり小文庫)』
著者:ビノーバ・バーベ、サティシュ・クマール
編集:辻信一、上野宗則
翻訳:辻信一、中久保慎一
発行:株式会社素敬 SOKEIパブリッシング
■内容
マハトマ・ガンディーと共にインドを独立へと導き、ガンディー亡きあと、彼の思想を体現、サティシュ・クマールに「ソイル・ソウル・ソサイエティ」の思想の種を蒔いた、“伝説の闘士"ビノーバ。
6万キロの道を歩き、450万エーカーの土地を譲り受け、貧しい人々に分け与えた“愛と共感の革命家"から、現代の日本へ、厳しくもあたたかい贈りもの。
■ビノーバ・バーベ(Vinoba Bhave/1895‐1982)
インドの思想家。社会運動家。
インド・マハーラーシュトラ州コラバ地区ガゴダ村(現ライガット地区ガゴダバドラック)生まれ。
マハトマ・ガンディーの第一後継者として、非暴力・不服従運動(サティヤーグラハ)を指導。
サルヴォダヤ(万人の飛躍)思想に基づく社会運動を展開するなか、大土地所有者が自主的に貧困層への土地の贈与を行う土地寄進運動(ブーダーン運動)を推し進めた。
■サティシュ・クマール(Satish Kumar/1936‐)
現代を代表するエコロジー思想家、非暴力平和運動家。
『リサージェンス&エコロジカル』誌名誉編集者。
「スモール・スクール」、「シューマッハー・カレッジ」の創設者。
1936年、インド・ラージャスターン州生まれ。
ジャイナ教の修行僧から還俗。
核廃絶の平和巡礼のため約13,000キロの道を無一文・徒歩で2年半かけて踏破。
1973年より、経済学者E・F・シューマッハーの呼びかけに応じて、イギリスに定住。
2018年12月、自らの教育運動について語ったDVDブック『サティシュの学校 みんな、特別なアーティスト』(SOKEIパブリッシング)を発刊した。
私が何派に属しているのか、と人は問う。
私が属しているのは、頭のおかしな人々のコミュニティだ。
私は狂っている。
そして、みんなも狂ってほしいと願っている。
ービノーバ・バーベ
・・・
「スモール・スクール」「シューマッハー・カレッジ」の創設者で、核廃絶の平和巡礼のため約1万3000キロの道を無一文・徒歩で2年半かけて実行したサティシュ・クマール氏は、15、6歳の頃にデリーのジャムナ川のほとりにあるラージガートというガンディーが火葬された場所で、ビノーバ・バーベと出会いました。
そこでビノーバは、ジャイナ教の僧侶であったサティシュに対し、
「精神性やスピリチュアリティというものは、単に自分個人に留まるものではなく、全世界、全社会をも包括するものであるべきだ。
何故ならそもそも我々個人の存在は、社会や世界から切り離されてバラバラにあるものではなくて、全体の中に統合された一部としてある。
だからスピリチュアリティとは、個々人のためのそれであると同時に、政治的で、経済的で、社会的なスピリチュアリティであらざるを得ない。
この世界から搾取をなくすための運動に従事することこそがスピリチュアリティだ。」
と指摘したといいます。
そしてサティシュは、
「その種は、やがて私の内で発芽することになります。そしてその出会いから数年後、私はジャイナ教の僧侶を辞して、還俗することを決意します。」
と語っています。
ビノーバ・バーベという名前を聞いたことがないかもしれませんね。
しかし、ビノーバ・バーベは、独立後のインドで最も重要な人物の一人です。
彼はマハトマ・ガンディーの後継者とされていますが、ガンディーは彼を師のごとく尊敬していました。
そしてもちろん、ビノーバは私の師でもあります。
彼はインド中を歩き、大地主たちを説得して得た土地を貧しい人々に分け与えました。
彼は偉大な思想家、学者、賢者であると同時に、聖人でした。
この度、私が編集したビノーバ・バーベの本が、ついに日本で刊行されることになりました。
この機会を逃さないでください。
是非この本を手にしてください。
この本に秘められた宝物を見つけて、あなたはビックリするでしょう。
きっと素晴らしい読書になるに違いありません。
それはあなた自身への、そしてあなたの家族、友人たちへの、よき贈り物となるでしょう。
是非このチャンスを活かしてください。
―サティシュ・クマール
著書の中でビノーバは、非暴力不服従と自治の大切さを、様々な角度から語っています。
「福祉国家は、本来民衆がもっている力の大部分を、少数の権力者の手に委ねることによって成り立ちます。
そしてその少数が国民生活全般を支配します。
六億人の国民のための政策は、首都デリーで立案されます。
日常生活のあらゆる側面に影響を与えるような決定が、デリーでなされるのです。
どんな社会改革を行なうべきか、どんな医療システムを採用すべきか、どんな言語を話すべきか、どんな映画を見るべきか・・・。
その全部を決めるのです!
こうしたことすべてを決める力を国に委ねてしまえば、民衆にとっては、もう独立も自立もありません。」
「 すべてのコミュニティにおいて、すべての人が人生を自分の手に取り戻さない限り、自由はありません。
それぞれのコミュニティが生活全般の運営 を自分たちで行い、住民同士の仲たがいを解決し、子どもをどう教育するかを決め、平和と安全 を確保し、物資の流通のための市場を運営する。
そうなれば、人びとの自尊心が回復します。
どのコミュニティでも、ごく普通の人々が公共の仕事を経験しながら、さらに自信を深めるでしょう。」
田畑での生産や、糸紡ぎなどの加工だけでなく、マーケットの運営や教育を自分たちの手で行っていくことで、ひとりひとりの自尊心や自信が回復し、自立したコミュニティが作られていくということを体験的に理解し、語っています。
「例えば、村人たちが黒砂糖を必要としている。
村ではすぐに自給できないなら、一年に限って外から買うと決める。
またその際、村人の誰かが勝手に外から買ってくるのではなく、村が共同で経営する店を通じて買うことにする。
そして一年の間にサトウキビを栽培し、翌年からは自分の村で自給する体制をつくる。
そしてその後は、あの共同経営の店では地元産の砂糖のみを置くことにする。
こういうふうにすれば、村中が一つの心をもったかのように、まとまれるでしょう。
もし村に五百人が住んでいれば、手は千本、足も千本、頭は五百個ですが、心は一つなのです。
五百の頭が互いに相談しながら、物事を決めていくでしょう。」
今の時代は、土地を越えて、価値観を共有する人たちがつながる「意識のコミュニティ(村)」のようなものが出来上がっている時代。
そんな中、皆が必要だと思うもの、環境や社会に負荷をかけないようなものを、仕入れて、販売していくスタイルは、共同経営に近いマーケットのあり方でもあります。
書籍を大型インターネットショップで、ロボットや24時間稼働の倉庫から送ってもらうか、顔の見える関係の中での物流を広げるかは、私達がどこで何を買うかという「投資行動」によって決まっていきます。
『恐れるなかれ(フィア・ノット)ー愛と共感の大地へ』お買い上げは、三宅商店にて。
そして、こういった本を編集、翻訳し、世に出すという活動をしている小さなメディアの存在を大切にしていきたいものです。
辻さんと上野さんが中心になって始まった「ゆっくり小文庫」。
顔の見える関係の中で、ものや情報や思いを交換しあえる未来のための読書を。
記事の最後に、編集者の一人である上野さんの言葉を紹介します。
いつの頃だったか、仕事のあり方に悩んでいた僕は、サティシュ・クマールの著書、『君あり、故に我あり』(講談社学術文庫)にあった次の言葉に目を開かされた。
「我々は行為を捨てることはできない。
行為は我々の前にあり、後ろにある。
じっと座っていることすらも行為だ。
あまりにも長い間じっと座っていれば、それさえも快適ではなくなる。
だから、我々は行為を捨てようとする必要はない。
我々が捨てることができるのは、結果についての願望なのだ」
その言葉の主こそ、ビノーバ・バーベだった。
敬愛するサティシュに、自然と社会と自己を育む三位一体の思想の種を植えつけたこの人物に、僕は大いに興味をもった。
さっそく著書を読んでみようと探したけれど、見つからない。
日本では、彼自身による著書は、出版されていなかったのだ。
その後、サティシュと親交のあった辻信一さんと出会い、僕は“ようむ員”として、本や映像の制作、ゆっくり小学校の運営を共にするようになった。
そして幸運にも、サティシュの日本ツアーにも携わることができた。
そのツアーの中で、「ビノーバの本を日本で出版したい」、とサティシュに申し出たところ、快諾してもらった。念願叶い、ようやく完成したのが本書である。
僕の人生を変えてくれたビノーバを、こうして日本で紹介できることが感慨深く、畏れ多くもある。
ー編集者の一人、上野宗則より
by 冨田貴史
0コメント